東京地方裁判所 平成10年(ワ)70184号 判決 1999年2月25日
原告
破産者株式会社a
破産管財人
X
被告
株式会社富士銀行
右代表者代表取締役
A
右訴訟代理人弁護士
嶋倉釮夫
三島枝理香
大城康史
主文
一 被告は、原告に対し、金一四五九万九七七六円を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを一〇分し、その九を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
四 この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金一六一二万四九六一円を支払え。
第二事案の概要
一 本件は、株式会社a(以下「破産者」という。)が破産宣告前に被告に別紙手形目録≪省略≫記載の約束手形五通(以下「本件各手形」という。)の割引を依頼したところ、当時、破産者に対して一億円を超す債権を有し、破産者の財務状況が悪化していることを認識していた被告が、手形金を自行の債権に充当することを企図し、真実には翌日割引を実行するつもりがないにも拘わらず、あたかも翌日には割引金を入金するかのように装って破産者から本件各手形の占有を取得し、破産者や破産管財人の返還要求を拒否して支払期日に取り立てて被告の破産者に対する貸付債権の弁済に充当したことが被告の不法行為であるとして、原告が被告に対し、本件各手形金相当の損害金の支払を請求するとともに、破産者が資金不足を理由に手形不渡りを出した平成九年一一月一〇日以降に破産者の口座に入金された金員について、破産法一〇四条二号により、被告は支払停止を知った後破産者に対し負担した預金返還債務と破産者に対する被告の債権とを相殺することができないとして、原告が被告に対し、右入金額全額の返還を求めた事案である。
二 争いのない事実
1 破産者は、資金不足により、平成九年一一月一〇日(以下、年度の記載を省略したものはすべて平成九年である。)一回目手形不渡りを、同月一八日に二回目手形不渡りを出し、同月二一日取引停止処分に付された。
2 破産者は、同月一七日、東京地方裁判所に対し破産の申立てを行い、一二月一二日午後三時、同裁判所において破産宣告を受け(東京地方裁判所平成九年(フ)第五〇八三号)、原告が破産管財人に選任された。
3 破産者の財務状況は平成七年頃から悪化し始め、平成九年も資金繰りが苦しい状況であった。
4 破産者は、一〇月一三日及び一一月一〇日に手形決済が必要であったところ、破産者は、大口の手形債権者に支払延期を要請し、一〇月一三日分については不渡りを出さずに済んだ。
5 破産者は、一〇月頃に被告中目黒支店に融資依頼をした際、被告担当者に対し、一一月一〇日満期の手形決済のために資金が必要であることを資金繰表を見せて説明しており、被告は破産者が一一月一〇日に約一億円の手形を決済しなければならないことを知っていた。
6 破産者は、一一月五日、被告に対し、本件各手形の割引を申し込み、被告は本件各手形を預かった。
7 同月一〇日、破産者は被告に対し、割引金の交付ないしは本件各手形の返還を求めたが、被告の担当者は、同日手形不渡りが出るなら自行の返済に充てると述べて右要求に応じなかった。
8 原告は被告に対し、平成一〇年二月六日付及び同年三月一六日付書面により本件手形の返還ないし手形金相当額の支払を求めたが、被告はこれに応じなかった。
9 破産者は、被告中目黒支店に左記口座を有していた。
記
種類 当座預金
口座番号 <省略>
預金名義 株式会社a
10 破産者が一回目手形不渡りを出した一一月一〇日以降に破産者の前記口座に入金された金員は合計五五二万九一〇三円であり、被告は原告に対して、右入金額のうち一五三万五八一七円を支払った。
三 原告の主張
1 被告による本件各手形の不法取得(商事留置権の不成立)
(1) 破産者は、被告に対し、一一月五日、翌六日に割引が実行され破産者の口座に入金されることを条件に、本件各手形の割引を依頼した。ところが、被告は当時破産者に対し一億円を超す貸付債権を有しており、かつ、破産者の財務状況が極めて悪化していることを認識していたため、破産者から本件各手形の割引を依頼されると、手形金を自行の債権に充当することを企図し、真実は翌六日には実行するつもりがないにもかかわらず、あたかも翌日に割引金を破産者の口座に入金するように装って、破産者から本件各手形の占有を取得した。
(二) 破産者は、同月六日、本件各手形の割引金が破産者の口座に入金されなかったため、被告に確認したところ、被告は、前日の破産者との約束に反し、同月一〇日に破産者振出の手形に不渡りが出ないことを事前に確認できたら割引を実行すると述べた。そこで、破産者は本件各手形の返還を求めたが、被告はこれを拒絶した。
同月七日にも、破産者と被告との間で同様の問答が繰り返されたが、被告は破産者に対し本件各手形を返還しなかった。
同月一〇日、破産者は被告に対し、割引金の交付ないしは本件各手形の返還を求めたが、被告は、同日手形不渡りが出るなら本件各手形金を自行の債権の弁済に充てると述べて、右要求を拒絶した。
(三) 被告は、破産者を欺罔することにより本件各手形の占有を取得しており、被告の本件各手形の占有の取得は不法行為を原因とするものであるから、被告に商事留置権は成立しない。
2 (支払停止の時期)
(1) 破産者は、一一月一〇日午前九時過、被告に対し、同日資金不足を理由として手形不渡りを出すことを表明した。
(二) 資金不足による手形不渡りを表明することは、破産法上の支払停止に該当するところ、破産法一〇四条二号により、被告は、支払停止を知ったのち破産者に対して負担した預金返還債務と破産者に対する債権を相殺することはできない。
したがって、被告は、破産者に対し、右同日以降破産者の口座に入金された金員全額について返還義務を負っている。
(三) 破産者は、一回目の手形不渡りを出した後、一部の手形を決済したが、それは次のような事情による。
すなわち、一一月一〇日満期の手形の期日の延期を承諾していた手形債権者のうち数社が、同日手形不渡りが出たことを知って、不渡附箋を得るために手形を交換に回した。破産者は、既に破産申立てを決意して、その準備を進めていたが、破産申立前に更に手形不渡りを出して混乱が生じることを防ぐために、約三一万円を口座に入れて一社分の手形のみ決済し、それ以外は資金がなかったために、債権譲渡や受取手形の交付により依頼返却に応じてもらって不渡りを回避した。右のようにして処理した手形債務は総額四四〇万円程度に過ぎない。
本来、破産者が一一月一〇日に支払うべき手形は総額約一億円であり、それに比較して、破産者が一回目の手形不渡り後に決済した金額は少額である。
債務超過となった会社が一回目の手形不渡りを出したときは、資金の手当を失念したというような特段の事情がない限り、破産法上の支払停止に該当する。また、一回目の手形不渡り後、手形決済等を行ったとしても、決済した金額が負債総額に比較して少額であるときは、一回目の手形不渡りをもって支払停止に該当すると解される。
破産者は、資金不足を理由として一回目の手形不渡りを出し、その後、手形の一部を決済したが、大幅な債務超過の状態にあったこと、負債総額に比較して決済額は少額であること、不渡りを出した日から一週間後には破産申立てを行っている状況に鑑みれば、破産者の支払能力が継続的・一般的に回復したとは到底いえない。
したがって、一回目の手形不渡り発生時点において、破産者の支払停止が認められる。
四 被告の主張
1 商事留置権の成立
(一) 破産者は、一一月五日、被告に対し、本件各手形の割引を依頼したが、その際の申入れは、支手決済日である同月一〇日以前の細かい支払に充てたいため、遅くとも今週中(同月七日)までに割り引いてほしいというものであった。被告は、原告から支手決済の目処が立ったとの説明を受けていなかったため、割引の条件として、割引金を入れて同月一〇日の支手決済の目処が立つこと、割引は同月一〇日に実行し、割引金は全て決済資金に充当することを説得し、破産者はこれを了承したうえで、被告に本件各手形を預けた。
したがって、本件各手形の取得は、右を条件とした手形割引契約に基づく取得である。
(二) 被告は、原告に対し、左記の条件で金員を貸し付けた。
記
(1) 貸付日 平成九年九月一〇日
貸付金額 二〇〇〇万円
貸付方法 手形貸付
元金返済方法 月一六六万六〇〇〇円(ただし、最終弁済期日のみ一六七万四〇〇〇円)
弁済期日 毎月一〇日
(最終弁済期日は平成一〇年九月一〇日)
(2) 貸付日 平成七年八月七日
貸付金額 二〇〇〇万円
貸付方法 証書貸付
元金返済方法 月五五万円(ただし、最終弁済期日のみ七五万円)
弁済期日 毎月一〇日
(最終弁済期は平成一〇年八月七日)
(3) 貸付日 平成九年一月一〇日
貸付金額 二〇〇〇万円
貸付方法 当初手形貸付、平成九年九月一〇日に証書貸付に切替
元金返済方法 月一〇〇万円
弁済期日 毎月一〇日
(最終弁済期は平成一一年五月一〇日)
(4) 貸付日 平成三年一〇月九日
貸付金額 一億円
貸付方法 証書貸付
返済方法 元利均等方式 平成七年八月一〇日の変更後は元利合計五五万〇一二一円
弁済期日 毎月一〇日
(最終弁済期は平成二三年九月一〇日)
一一月一〇日、右各貸付債権についての約定弁済分合計三七六万六一二一円及び右(1)ないし(3)についての約定利息分について弁済期が到来した。
(三) よって、一一月一〇日の到来により、被告が占有していた本件各手形について商事留置権が成立した。
(四) 債権者が占有する手形についていったん商事留置権が成立した後に、債務者が破産宣告を受けた場合でも、破産管財人に対する関係では、商事留置権の留置的効力は存続する。したがって、本件においても、被告に商事留置権が成立している以上、被告が、破産者の破産宣告後、原告からの本件各手形の返還請求を拒絶したことには正当な理由がある。
本件各手形について商事留置権を有し、特別の先取特権に基づく優先弁済権を有する立場にあった被告が、銀行取引約定書四条四項に基づき、本件各手形を取り立てて、その手形金を貸付債権の弁済に充当した行為は適法なものである。
2 支払停止の時期について
破産法上の支払停止とは、弁済能力の一般的かつ継続的な欠缺を外部に表示する行為であって、一回目の手形不渡りの表明の時点では未だ当然には支払停止に該当するとはいえない。
破産者は、一一月一〇日、一回目手形不渡りを出したが、被告に対し、なお、事業維持の意思を表明し、経営努力を継続していた。現に、破産者は、一回目手形不渡りを出した後、四四〇万円程度の手形について、一部は決済し、その他は担保提供等することによる依頼返却により不渡りを回避しているのであり、一回目手形不渡りが出ることを被告が知った一一月一〇日をもって、支払停止があったとはいえない。
一一月一三日、破産者の代理人弁護士から被告に対し、万策つきたので同月一七日に破産申立てをする予定であるとの連絡が入り、この段階で破産者に支払停止があると考えられる。
したがって、被告は、一一月一二日までの破産者口座への入金分をもって被告の反対債権と相殺することが許される。
被告は、一一月一三日以降の破産者口座入金分一五三万八一七円を原告に返還し、残余については従前の口座振替約定に基づき一一月一〇日約定弁済分の一部に振り替え、あるいは相殺した。
五 争点
1 商事留置権は成立するか。
2 支払停止の時期は何時か。
第三争点に対する判断
一 商事留置権の成否について
1 前記争いのない事実と証拠(≪証拠省略≫、証人B、証人C{後記措信しない部分を除く。}、証人D{後記措信しない部分を除く。})を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) 破産者は、平成七年頃から財務内容が悪化し始め、平成九年に入ってからは毎月資金手当に追い回される厳しい状況が続いた。破産者は、一〇月一三日に約一億四〇〇万円の手形決済を必要としたが、資金手当ができなかったため、メインバンクである第一勧業銀行中目黒支店(以下「勧業銀行」という。)、あさひ銀行中目黒支店(以下「あさひ銀行」という。)、住友銀行中目黒支店(以下「住友銀行」という。)及び被告中目黒支店に決済資金の融資を申し込んだところ、勧業銀行、あさひ銀行、住友銀行の三行からは融資を断られ、被告から新たな担保を提供することを条件に一五〇〇万円の融資を受けることができただけであった。そこで、破産者は、やむなく大口債権者一九社に支払延期を依頼し、うち九社に合計約三七〇〇万円分の支払を二ないし三か月延期してもらって、何とか手形不渡りを出さずに済んだ。しかし、右支払延期の条件として、当時破産者が有していた売掛債権の約四割(約五五〇〇万円)を支払延期に応じた債権者に譲渡せざるをえなかった。
(二) 破産者は、一〇月一三日分の手形決済については右のようにしてかろうじて乗切ったものの、翌一一月一〇日にも約一億円の手形決済予定があり、自力で用意できる資金は一〇〇万円から二〇〇万円にすぎない状況であった。
そこで、破産者は、一〇月後半から、再度、大口債権者に支払延期要請をしたが、殆どの債権者は二度目の支払延期には消極的であった。破産者は、勧業銀行、あさひ銀行及び被告に対し、一一月一〇日の決済資金として、各二〇〇〇万円の借入を申し入れた。これに対し、被告とあさひ銀行は勧業銀行が破産者に融資することを条件に破産者に融資することを承諾したが、勧業銀行が一〇月の時点で破産者に対する融資を断ったために、結局、破産者はいずれの銀行からも一一月一〇日の決済資金の融資を受けることはできなかった。
(三) 破産者は、メインバンクの一つである被告に対し、決算時には必ず決算書を提出していた他、毎月の月次の貸借対照表、損益計算書及び資金繰表を提出して財務状況について説明していたため、被告は破産者の資産状況、他行からの借入額が数億円あること、資金繰りが苦しいことについて詳細に把握していた。
破産者が作成した一〇月末現在の資金繰表(試算表)は、銀行融資が受けられない場合、一一月時点で約六〇〇〇万円の赤字、一二月時点で約四〇〇〇万円ないし五〇〇〇万円の赤字、翌年一月時点で約四〇〇〇万円ないし五〇〇〇万円の赤字を予測する内容となっていた。
(四) 破産者は、一〇月後半くらいから大口債権者らに支払延期を拒絶され、また、勧業銀行、あさひ銀行及び被告から手形決済資金の融資を断られたため、株式会社ホームなどの取引先に対する支援要請を続けていたものの、一〇月三〇日の段階で、一一月一〇日に一回目の手形不渡りを回避することは非常に困難であり、二回目の手形不渡り回避の見込みも立たず、一回目の手形不渡りを出したら倒産せざるを得ないと覚悟し、一一月一〇日に手形不渡りが発生したら直ちに破産の申立てを行うことを決意した。
(五) 破産者は、八月頃、顧問弁護士のE(以下「E弁護士」という。)に、会社の資産内容、財産内容、借入、負債関係について全て説明したところ、同弁護士から早く破産の申立てをするようにアドバイスを受け、予納金なども含む破産申立て費用として約一〇〇〇万円が必要であることを教えられ、破産申立てに必要な書類の一覧表を受け取っていた。しかし、破産者は、この時点においては破産する意思はなかった。
破産者は、一〇月三〇日、E弁護士の事務所に破産申立ての代理を依頼するため赴いたが、破産者が八月の時点でE弁護士のアドバイスに従わず、その後も経営を続けて、売掛債権譲渡などもしていたことを同弁護士から非難され、結局、同弁護士に破産申立てを委任することはできなかった。
(六) 破産者は、一一月一日から始まる連休中に、従前、E弁護士から受け取っていた破産申立てに必要な書類の一覧表を参考に、債権者一覧表を作成するなど、破産申立ての準備に着手し、連休明けの一一月四日、破産申立の代理人を依頼するために霞ヶ関の弁護士会の法律相談に赴いたが、相談担当弁護士から荷が重いとして受任を断られ、後日受任してくれる弁護士を紹介すると言われて、その日は代理人を依頼することができなかった。
(七) 破産者は、E弁護士から破産申立ての費用として一〇〇〇万円程度の金員が必要であると聞いていたところ、一一月初めの時点において即金で用意できる金員は一〇〇万円か二〇〇万円しかなかった。破産者は、売掛金で回収できるものも殆どなかったことから、受取手形の割引金を破産申立て費用に充てることにした。
(八) 破産者は、一一月五日(水曜日)、被告に対し、翌六日を割引希望日と指定して本件各手形の割引を依頼し、被告はこれに応じて破産者から本件各手形を預かった。
(九) 破産者は、被告に対し、一〇月九日に割引希望日を一〇月一三日として、また、一〇月三〇日に割引希望日を一〇月三〇日として、受取手形の割引を依頼し、いずれも希望日どおりに割引を受けていたことから、本件各手形についても破産者の希望どおりに一一月六日に割引が実行されるものと思っていたところ、同日に割引の実行はなされなかった。破産者代表者は、六日、大阪に出張していたため、電話で、被告に対し、割引の実行を求めたところ、被告担当者は、一一月一〇日に手形不渡りが出ないことの確認が取れなければ割引は実行できないと主張し、押し問答の末、破産者は本件各手形の返却を求めたが、被告は本件各手形を返却することを拒絶した。
(一〇) 破産者は、一一月七日(金曜日)、直接、被告中目黒支店に赴き、被告に対し、再度、本件各手形の割引実行を求めた。その際、被告から割引金の使途を尋ねられたが、破産の申立てをする予定であることは社内、社外とも秘匿していたために、破産申立て費用に充てることは告げなかったが、職人への支払いや仕入れのために現金が至急必要である旨の説明をした。しかし、被告は、前日と同様、一一月一〇日の手形不渡りが回避できることを確認した上で割引を実行する旨主張するのみで、七日に割引を実行することも、本件各手形を破産者に返却することも拒絶した。
(一一) 一一月八日(土曜日)及び一一月九日(日曜日)には、破産者と被告の接触はなかった。
破産者は、一一月一〇日(月曜日)午前九時過、被告中目黒支店に赴き、被告に対し、破産者が同日手形不渡りを出すことは避けられない旨告げた上、本件各手形の割引が受けられないのであれば、本件各手形を返却してほしいと申し入れたが、被告は拒絶した。
(一二) 破産者は、一一月一二日頃、東京弁護士会から弁護士Fを紹介され、同日頃、同弁護士に破産の申立てを委任し、一一月一七日、破産の申立てを行った。
右認定に反し、証人C(以下「C」という。)及び証人D(以下「D」という。)は、要旨、①破産者が、一一月五日、支手決済前に細かい支払があるのでその週中に本件各手形を割ってもらいたい旨申し出たのに対し、被告は、割引金は全て一一月一〇日の支手決済に充当すべきであり、その週中には割り引けない、割引には応じるが支手決済資金として一一月一〇日に割引を実行する旨破産者を説得し、破産者も納得して被告に本件各手形を預けた(証人C及び証人D)、②破産者は、一一月六日、被告に電話で六日ないし七日に本件各手形の割引を実行してもらいたいと申し入れ、被告は支手決済の目処が立っていないのであればその週中の割引実行には応じられない旨回答したが、破産者から本件各手形の返還の要請は受けなかった(証人C)、③破産者は、一一月七日、被告中目黒支店を訪れて、被告に七日中に本件各手形の割引を実行するよう求め、被告は断ったが、破産者から本件各手形の返還の要請は受けなかった(証人C及び証人D)と供述する。
しかし、右供述①は、「商業手形割引申込書兼支払人内訳書」(≪証拠省略≫)の割引希望日欄に「一一月六日」と記入されており、右記入が一一月五日に破産者が本件各手形を被告に預けて辞去する直前にCによって記入されたものであること(証人C)と明らかに矛盾するし、破産者が、一一月六日及び一一月七日と連日、被告に対して割引の実行を執拗に迫ったこと、一一月一〇日の手形決済は約一億円であるのに対し、破産者の手持資金はわずか一〇〇万円ないし二〇〇万円であり、大口債権者からの支払延期は得られず、被告を含む取引銀行のいずれからも手形決済資金の融資を断られた状況の下では、たとえ本件各手形の割引金(本件各手形の額面合計は一二一三万一六七五円である。)を全て手形の決済に充てても一一月一〇日の手形不渡りを回避することは極めて困難な状況に破産者が追い込まれていたことに照らして、破産者が一一月一〇日に本件各手形の割引の実行を受け、割引金全てを同日の手形決済に充てることを了承していたとすることは不自然であって、到底信用することはできない。また、右供述②、③については、一一月六日や一一月七日時点において破産者が一一月一〇日に手形不渡りを出す可能性が極めて大きいと認識していたこと、破産者は一一月一〇日に手形不渡りが出たら直ちに破産申立てをすることを決意していたこと、破産者は本件各手形の割引金を破産申立ての費用に充てようとしていたことに照らすと、一一月一〇日に手形不渡りが出れば、被告から割引金も入金されず、本件各手形の返還も受けられなくなることは容易に想像できるのにもかかわらず、本件各手形の割引申込以降連日割引の実行を被告に求めていたのに一一月七日に至っても割引の実行を受けられなかった破産者が、一一月一〇日の手形決済当日まで被告に本件各手形の返還を求めなかったことは不自然であり、到底信用することはできない。
2 以上の認定事実を前提に、商事留置権の成否について判断する。
争いのない事実及び右各認定事実によれば、被告は、一一月五日、破産申立て費用を割引金により捻出しようとしていた破産者から翌六日を割引実行希望日と指定して本件各手形の割引の依頼を受けたとき、破産者に対して約一億円の債権を有しており、一一月一〇日に約一億円の手形決済を控えていながら、破産者が手形決済の目処が立っていないことを承知していたため、破産者が一一月一〇日に手形不渡りを出した場合には、本件各手形で自行の債権を保全するために、真実は一一月一〇日まで割引を留保する意図であるのに、破産者に対してはこれを秘匿し、速やかに割引を実行するかのように装って、破産者にその旨誤信させて破産者から本件各手形を預かったものと推認することができ、この推認を覆すに足りる証拠はない。
したがって、本件各手形の占有は、自行の債権保全を計ろうとする被告により、速やかに割引が受けられるとの破産者の錯誤に乗じて、不法に取得されたものであり、正当な商行為によって被告の占有に帰したものとはいえず、本件各手形について商事留置権は生じない。
そうすると、その余の点について判断するまでもなく、被告が原告からの本件各手形の返還請求を拒み、本件各手形を支払期日に呈示して取り立て、その取立金を破産者に対する貸付債権の回収のために充当したことは違法であり、被告は原告に対し、本件各手形金相当額の損害金を支払う義務を負う。
二 支払停止の時期について
1 破産者が、一一月一〇日午前九時過、被告中目黒支店を訪れて、同日手形不渡りを出すことは避けられない旨表明したことは前記一の1の(二)に認定のとおりであり、右表明のとおりに破産者が同日資金不足を理由とする手形不渡りを出したことは当事者間に争いがない。
破産法上の支払停止とは債務者が弁済能力の一般的かつ継続的な欠缺を外部に表示する行為であるところ、債務超過に陥っていた破産者が約一億円という巨額の手形について不渡りを出さざるを得ない旨取引銀行である被告に表明し、実際にも右表明をした日中に手形不渡りを出した本件においては、右不渡りを表明した時点において、支払を一般的に停止する意思表示をしたものと解すべきである。
被告は、破産者が一一月一〇日の時点でも一回目の手形不渡りは出さざるをえないものの会社の存続に向けて強固な意思を被告に表明して経営努力を継続していた状況にあり、現に一一月一二日に交換に回って来た手形の一部を決済したほか、支払延期要請により二回目の手形不渡りを回避しているのであるから、一一月一〇日の一回目の手形不渡りの時点では支払停止があったとはいえない旨主張する。
しかし、前記一の1の(四)ないし(六)に認定のとおり、破産者は、一〇月三一日の段階で既に一一月一〇日に一回目の手形不渡りが出たら直ちに破産の申立てを行う意思を固め、破産申立てに必要な書類を作成したり、破産申立ての代理人を依頼するために弁護士会の法律相談に出向く等の破産の申立てに向けての準備を進めていたのであり、また、証人Bの証言によれば、破産者は、一一月一〇日の支払期日の延期を承諾していた手形債権者の一部が、一一月一〇日に手形不渡りが出たことを知り、不渡付箋を得るために手形を交換に回してきたため、破産申立ての前に二回目の手形不渡りを出して混乱が生じることを防ぐ目的でやむなく、約三一万円を口座に入金して一社分のみ決済し、それ以外の手形については資金がなかったため、債権譲渡や受取手形の交付により依頼返却を求めて、約四四〇万円分の手形を処理したことが認められる。
右事実によれば、数億円の負債を抱えて大幅な債務超過の状態にあった破産者が一回目の手形不渡りを出した後に決済や依頼返却により処理した手形の金額は負債総額に比較して僅少であり、しかも破産の申立てを行う前に二回目の手形不渡りを出すことにより生じる混乱を避けるためのやむを得ない処置であったこと、右処理をした日から五日後の一一月一七日には破産申立てをしたことに照らせば、一一月一〇日の一回目の手形不渡りを出した後、破産者の支払能力が一般的、継続的に回復したとは到底言い難い。
前記一の1の(一一)に認定のとおり、同日午前九時過、破産者が被告中目黒支店を訪れて、同日手形不渡りを出すことは避けられない旨告げたのであるから、被告は、その時点で破産者の支払停止を認識したものというべきである。
2 一一月一〇日以降、破産者の被告中目黒支店の当座預金口座に取引先から合計五五二万九一〇三円が入金されたことは当事者間に争いがない。≪証拠省略≫によれば、右入金のうち一三七万七七六五円については、一一月一〇日午前八時四〇分に、一四万七四二〇円については同日午前一時四四分にそれぞれ破産者の口座に入金されたことが認められるので、この分を除く四〇〇万三九一八円の入金によって生じた被告の預金返還債務は、被告が破産者の支払停止を知って負担した債務であるから、破産法一〇四条二号により、被告の破産者に対する債権との相殺を禁止される。
したがって、被告は原告に対し、既に返還済みの一五三万五八一七円の他に預金残金二四六万八一〇一円の返還義務を負う。
三 結論
以上の次第で、原告の本件請求は、被告に対し一四五九万九七七六円の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は棄却し、仮執行免脱宣言については、相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判官 深見玲子)